東京地方裁判所 昭和63年(ワ)9539号 判決 1991年3月22日
原告
時田運送株式会社
右代表者代表取締役
時田七之助
右訴訟代理人弁護士
竹澤東彦
同
中村隆
同
中條秀雄
被告
彦田誉雄
右訴訟代理人弁護士
飯塚俊則
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の各土地についてされた別紙登記目録記載の各登記の抹消登記手続をせよ。
第二事案の概要
本件は、農地について、前所有者からの買主の地位及び農地法所定の許可を条件とする停止条件付所有権移転請求権を取得して、その仮登記の手続をした者が、その買主としての地位と請求権を他へ譲渡し、その譲受人が、右仮登記の移転登記をし、かつ、前所有者から直接農地を買い受ける形式をもって、農地法所定の許可を受け、前所有者から直接所有権移転登記を受けたが、その後になって、譲渡人が、譲受人に一部代金の不払いがあるとして、譲渡契約の全部を解除し、譲受人に対し、右所有権移転登記及び仮登記移転の付記登記の抹消登記手続を求める事案である。
一争いのない事実
1 原告は、一般区域貨物自動車運送業、産業廃棄物の収集・運搬・中間処理並びに最終処分等を主たる目的とする株式会社である。
2 原告は、別紙物件目録記載の各土地(以下「本件各土地」という。)につき、その前所有者からの買主の地位と、農地法三条の知事の許可を条件とする所有権移転請求権(以下「本件権利」という。)を左記のとおり取得した。
記
物件目録の番号 前権利者 取得の日 原因
一、二、三、四 宮崎宗次 昭和五六年一二月二二日 売買
五、六、七 田島國太郎 同六一年四月二三日 売買
八、九、一〇 (有)栄ハウジング同五七年八月一〇日 売買
一一 河之辺宇右エ門(農地所有者)同六〇年一二月二三日 同日付条件付売買により設定
3 原告は、本件権利について、別紙登記目録各項2の前段記載の日にそれぞれ登記手続をした。
4 原告は、昭和六二年七月二五日被告に対し、右買主としての地位を本件権利と共に以下の約定をもって売り渡し(以下「本件契約」という。)、被告は、原告に対し、同日手付金として四五〇〇万円を支払った。
(一) 売買代金 四億五〇〇〇万円
(二) 支払方法
(1) 契約日に手附金として金四五〇〇万円
(2) 農地法三条申請通過時に中間金として金一億八〇〇〇万円
(3) 移転登記等の引渡手続完了並びに農地法三条申請の許可証交付後一〇日以内に残金二億二五〇〇万円
なお、本件権利の対象地はいずれも農地であるため、原告が前所有者から必要書類の交付を受け、前所有者から被告へ直接所有権を譲渡する形式で、農地法三条の許可申請をし、かつ所有権移転手続をとることとし、右手続についての農地法三条の許可申請並びに許可を本件権利の売買代金の支払条件とした。
(三) 当事者の一方が本契約の一たりとも違背したときは、何等の催告を要せず即時解除することができる。
5 被告は、前記仮登記を被告へ移転する付記登記手続を別紙登記目録各項2後段記載の日にそれぞれした。
6 本件各土地につき、同年八月一二日頃農地法第三条の許可申請が受理されたので、被告は原告に対し中間金として金一億八〇〇〇万円を支払った。
7 本件各土地につき、所有権移転に関する農地法三条の許可が、昭和六二年九月八日までにされ、売買を原因として、各前所有者から被告への所有権移転登記が別紙登記目録各項1記載の日に行われ、被告は、原告に対し、同年九月二一日残金の一部として金一億五〇〇〇万円を、同月二六日同様の趣旨で金五〇〇〇万円を、それぞれ支払った。
8 被告は、昭和六二年一〇月一六日残金二五〇〇万円のうち、被告が原告のため支出した赤土費用三三〇万円を控除した(この控除を、原告は承諾したが、それが、条件付のものであったかどうかについては争いがある。)二一七〇万円を額面とする小切手を振出交付したが、原告がこれを取り立てに回したところ、不渡届異議申立提供金を預託して、右小切手の支払を拒絶した。
9 原告は被告に対し、昭和六三年六月一六日被告の売買代金一部不払を理由として、前記3(三)記載の契約条項に基づき、本件契約を解除する旨の通知を内容証明郵便にて行い、同郵便は同月一七日被告に到達した。
二争点及びこれに対する当事者の主張
1 原告は、法律上、本件契約を解除することによって、被告に対し所有権移転登記の抹消登記手続を求めることができるか。
(原告の主張)
登記簿上は、被告は、前所有者から直接に本件各土地の所有権移転登記を受けたこととなっているが、それは、形式に過ぎず、実体上は、被告は、本件契約によって、原告から、本件各土地の買主としての地位の譲渡を受け、これによって、前所有者からこれを買い受けたのである。したがって、右契約が解除されれば、被告は、その買主としての地位を失い、所有権は、前所有者に遡及的に復帰することとなる。前所有者は、その本件土地所有権に基づき、被告に対し、所有権移転登記の抹消を求めることができるから、前所有者に対し本件権利を有する原告は、これに代位して、被告に対し、右移転登記の抹消を求めることができる。
そうではなく、被告は、前所有者から直接本件各土地の所有権の譲渡を受けたものとしても、前所有者は、原告の本件権利に基づき、その移転登記手続に協力したのであるから、本件契約解除により、被告が本件権利を失ったことによって、元権利者が被告に対して負った協力義務は遡及的になくなったこととなり、被告の本件土地の所有権取得は法律上の原因を欠くに至る。よって、前所有者は被告に対し不当利得返還請求権に基づく所有権移転登記抹消請求権を有し、これを原告は前所有者に対して有する本件権利によって代位する。
(被告の主張)
被告は、原告から本件各土地の買主としての地位の譲渡を受け、これによって、前所有者と直接売買契約を締結し、前所有者から本件各土地の所有権を取得して、農地法所定の許可を得たものである。したがって、原告が原・被告間の本件権利の売買契約を解除したとしても被告から前所有者に本件土地の所有権が復帰する余地はない。
2 原告は、被告が残代金二五〇〇万円又は二一七〇万円の支払をしなかったことによって、本件契約を解除することができるか。
(原告の主張)
被告は、残金二五〇〇万円のうち二一七〇万円(差額の三三〇万円については、確かに原告は、その控除を承諾したが、それは、あくまでも、残金が期日に支払われることが条件となっていたものであるから、これが支払われなかった以上、その控除をすることはできない。)の額面の小切手を原告に交付したが、金融機関に同額の異議申立提供金を預託して、その支払を拒絶し、その後もその支払をしない以上、代金支払債務の不履行があるから、原告は、前記約定に基づき、本件各土地全体の売主としての地位の売買契約を解除することができる。被告が主張する不払いの理由は、いずれも理由とすることができないものである。なお、不払いの金額は、売買代金全額から見れば約五パーセント前後に過ぎないが、金額自体は大きいし、原告は税金の支払のため、本件各土地の権利を譲渡したものであるのに、被告の一部代金不払いのため、他からその金員を用立てざるを得なくなり、その目的を達することができなかったものであるし、また、前記特約は、このような場合にも契約全部の解除を認める趣旨のものと解すべきである。
(被告の主張)
被告は、本件各土地の全部について、所有権移転登記ができるとの見込みの下に、右額面の小切手を原告に交付した(三三〇万円の控除についての原告の承諾には、何ら条件は付されていない。)。しかし、その後、別紙物件目録八記載の土地については、その移転書類が、司法書士に交付されていないことが判明したため、小切手の支払を拒絶した。右書類は、その後そろったが、その時点においては、次の事情があって、なお支払を留保したものである。すなわち、本件各土地と隣接する中山茂樹(以下「中山」という。)所有の土地との境界については、昭和六二年九月頃以来原告と中山との間において紛争となっていたため、中山から被告に対し、一方的に「誓約書」及び印鑑証明書を差し出すようにとの要求があり、被告としては、右要求は理由がないと考えたが、中山にも、本件各土地の所有名義の移転について協力を求める必要があったため、やむを得ずこれに応じた。しかし、その後、右誓約書のため、中山所有地との隣接部分について、被告は、所有権行使を妨げられるに至っており、原告も、昭和六二年九月七日中山に右書類を返還させると約束したので、その返還があるまで残代金の支払を留保した。
仮に、被告に右代金支払の点で債務不履行があったとしても、未払額が売買代金全体に占める割合は僅かであり、これを理由に売買契約全体の解除を認めることは、信義誠実の原則に反し、許されない。
第三争点に対する判断
一争点1(原告は、本件契約の解除により、被告に対し、所有権移転登記の抹消登記を求めることができるか)について
1 次の事実が認められる。
(一) 本件各土地の前所有者に対する売買代金は、本件契約締結以前に既に全額支払済みであり、前所有者は、買主の地位の譲渡を受けた者に対し、農地法所定の手続及び移転登記に協力する義務のみを負っていた(<証拠>)。
(二) 被告は、原告から、本件各土地の買主としての地位の譲渡を受け、前所有者と協議のうえ、前所有者から直接本件各土地を買い受ける趣旨で農地法所定の許可申請をし、その旨の許可を得たうえ、前所有者から直接に所有権移転登記を受けた(争いがない事実、<証拠>)。
2 右事実によれば、次のようにいうのが相当である。
(一) すなわち、前所有者は、その直接の売買契約当事者との契約により、その当事者が、本件各土地の買主としての地位を他の者に譲渡することを承認し、その譲渡によって買主となった者に対し、前所有者として未履行の債務を履行することを約したものであるから、原告と被告との本件契約においては、前所有者は、いわば第三者のためにする契約における第三者を義務者とした場合に該当するともいうことが可能である。
(二) また、前所有者は、買主として確定した者に対し、農地法所定の許可及び移転登記へ協力すべき債務のみを負っていたところ、買主として確定した被告に対し、右許可及び登記手続の協力債務を履行したことにより、その債務は全部消滅したということができる。
(三) 被告は、買主の地位の譲渡を受け、前所有者に対し買主となって、その当事者間において売買契約の履行が行われ、農地法所定の許可もその当事者間における売買につき行われて、所有権は、前所有者から被告へ移転したものと解される。
(四) 以上のところからすれば、右の事実関係のもとにおいては、原告と被告との間の本件契約は、原告と前所有者との間の本件各土地売買契約から生じた債権債務が、その当事者間においては全て履行が終了したことにより、右売買契約に対する前提としての意味を失い、仮に本件契約が解除されても、右売買契約には何ら影響を及ぼさなくなるに至ったものと解するのが相当である(民法五一三条一項、同法五三八条の趣旨により類推される。)。
3 そうすると、原告は、本件契約を解除したからといって、被告に対し、本件各土地の前所有者から被告への所有権移転登記の抹消を求めることはできないこととなるから、この点に関する原告の請求は理由がない。
二争点2(原告は、被告が残代金の支払をしなかったことによって、本件契約を解除することができるか)について
1 原告は、原告から被告への本件各土地についての所有権移転仮登記等の移転登記の抹消登記手続をも求めており、この請求は、原告が本件契約を解除すれば、認められる余地がある。よって、以下右解除の可否について検討する。
2 被告が、売買残代金の支払を拒絶する理由は、当初一部売主について、所有権移転登記に必要な書類が整わなかった段階においては(<証拠>)、相当であったが、これが追完された後には相当性を失い、以後被告は、右売買残代金(その額については争いがあるが、本件においては、そこまで立ち入る必要がない。)債務について不履行となったものと解される(被告は、中山に差し入れた誓約書等の返還義務の不履行をいうが、本件契約上その返還が原告の義務であるとする特約を認めることはできない(<証拠>)し、原告がその返還を本件契約上の義務として、被告に対し、約束したとの事実を認めるべき証拠はない。)。
3 本件各土地売買代金の総額は、四億五〇〇〇万円であるのに対し、不履行の金額は、二五〇〇万円ないし二一七〇万円であって、総額の約五パーセントに過ぎない。そして、本件において、原告には、右残代金の支払がなければ、契約全体として目的を達しなくなるというような事情は何ら認めることができない(原告は、税金支払の都合をいうが、金額は、全額そっくり揃わなければ目的が達せられないものではない。)。
4 原告は、また、本件契約上の特約をいうが、その特約は、文言の上からは、およそどんな些細な違約があろうと直ちに全体を解除できるというほどに強い効果を持たせる趣旨で規定されたものとは到底解しえない(「本契約の一たりとも」とは、「本契約の一つの条項」というほどの意味にとることも可能である。)。
5 そうすると、原告が、右売買残代金の未払いによって、本件各土地の買主の地位の譲渡契約全体を解除することは、信義則上認め難いというべきである。
6 本件契約は、それぞれ独立した、一一筆の農地についての、買主の地位の売買契約である。そうすると、以上のところからすれば、原告は、売買残代金にある程度見合う土地部分の売買契約については、解除可能ということになる。しかしながら、原告は、そのような一部の限定をしないし、当裁判所において、その一部を指定して、その解除を認めることも、原告の請求の範囲を超えることになると解される。
7 よって、原告のこの点に関する請求も理由がないものとして、棄却せざるを得ない。
(裁判官中込秀樹)
別紙<省略>